久しぶりに旅行系のYouTubeチャンネルをアップしたら思うことがあり、こんなツイートを残しました。
自分が価値あると思ってたり、これくらいやんなきゃダメだと思っていることをやっても喜ばれないことが多くて、逆に「え?これですか?こんなので良いんですか?」というものが喜ばれたりする。
このズレは職人気質・完璧主義になればなるほど大きくなる。真面目すぎる人はもっとダメでちょうどいい。— 山際将太 (@shotayamagiwa) June 17, 2020
自分で言うのも変な話ですが、僕は職人気質・完璧主義者・真面目な部分があるので、表に情報を出す時に苦しくなってしまうことがあります。
職人気質・完璧主義者・真面目な部分があると、考えすぎて損をしてしまうことが多くあるんですよね。
そこで、僕と同じような職人気質・完璧主義者・真面目な人の心が軽くなったり、肩の力を抜くキッカケになればと思い、もっとダメでちょうどいいという意味と理由を深堀りして解説していきます。
自分の基準と他人の基準は基本的にズレている
自分が価値あると思ってたり、これくらいやんなきゃダメだと思っている基準を人それぞれ持って生きています。
そして、そのジャンルに費やす時間・労力が増えれば増えるほど、あなたのレベルが上っていくので、自然と基準も高くなっていきます。
すると、職人気質・完璧主義者・真面目な人ほど、全ての人があなたの基準のものを求めているような錯覚に陥りやすいです。
しかし現実は、全ての人があなたの基準を求めているわけではなく、その人に合ったレベルのものを求めています。
料理が得意なあなたは、特別感のある美味しい料理のレシピを求められていると思うかもしれませんが、料理初心者からは野菜の切り方を求められていたり。
漫画が得意なあなたは、あなたしか描けないこだわりのあるイラストを求められていると思うかもしれませんが、どこにでもあるイラストでいいから短時間での納品を求められていたり。
自分が求められていると思っていることと、実際に求められていることのズレはよく起きています。
そのため、自分が自信を持って「これだ!」と思ったことをやっても喜ばれないことが多くて、逆に「え?これですか?こんなので良いんですか?」というものが喜ばれたりします。
このズレは職人気質・完璧主義者・真面目すぎる人であればあるほど大きくなります。
なので、もっとダメでちょうどいい。もっと低レベルでちょうどいい。
そう考えてみてほしいのです。
- レア度
- こだわり感
が価値の高さではないのです。もう少し細かく理由を解説します。
受け取り側のレベルによって品質の高さが変わる
情報発信側・サービス提供側が考える品質の高さと受け取り側が考える品質の高さは、ズレていることがとてもたくさんあります。
その理由は、受け取り側のレベルによって、品質の高さの定義が変わるからです。
具体例を挙げます。
上級者向けの情報・サービスを初心者に提供しても品質の高さを分かってもらえない
例えば、目の前に世界で有名なワインソムリエが現れたとします。
そのソムリエが「このワインは〇〇産で▲▲の製法でとても希少なんです。手に入れるのに苦労しました。お値段は1本10万円です」と言いました。
ワインの知識がない僕は「なるほど!それは10万円でも安いくらいですね。5本ください」とは思えないのです。
逆に「うわっ、高っ!」と思っちゃいます。
ワイン初心者の僕にとって「〇〇産で▲▲の製法でとても希少」と言われても、何が違うかが分からないので品質の高さが分からないのです。
〇〇産がどれほどスゴいのか、▲▲の製法がどれほどのものなのかがサッパリ分からないんですね。
もちろん飲んでもサッパリ分からないでしょう。笑
上級者にとっては「何で分からないんだ!」と激怒すると思うのですが、初心者の僕にとっては判断材料が養われていないので、品質の良さが分からないのです。
それよりも、1本2,000円以下で飲みやすいワインや料理に合わせたワインを厳選してくれた方が価値を高く感じるものなのです。
え?こんなのでいいの?情報発信編
これは情報発信している多くの人が一度はハマる罠なのですが、情報のレア度こそが価値だと思うタイミングがやってきます。
しかし、情報のレア度は、情報を受け取る側にとって「どうでもいい情報」として処理されてしまうことが多いのです。
実際に、ブログやYouTube、Twitter、メルマガなどで「これはどこにも出ていない価値の高い情報だ!」と渾身の発信をして、反応がめっちゃ薄いことってあるあるなんですね。
さらに「これは超有料級の情報だからセミナーやnoteでお金を取ろう!」と講座を作っても、全然買ってくれなかったりすることがよくあります。
逆に自分にとっては当たり前すぎて「こんなの価値ないよな…」「こんなの今さら…」と思っていることを発信すると、めちゃくちゃ喜ばれたりすることの方が多いんですよね。
その理由は、専門分野に関しての情報レア度を追求すればするほど、多くの人にとって小難しい話になって「何を言っているか意味が分からない」となってしまうのです。
意味不明なことを言っている人に対して、なんかスゴそうなことを言っているっぽいのは理解できても「価値がある」「品質が高い」とは思えないですよね?
僕が拍子抜けしたYouTubeでの発信
僕は旅行が好きで今まで世界二周しているのですが、友人知人から「どの国が良かった?」「どの国の料理が美味しかった?」などをよく聞かれます。
旅行に行った僕からすると、すごくどうでもいい情報だと思っていたので、友人同士の会話で留めていました。
しかし、あまりにもよく聞かれるので、試しに運営している旅行系のYouTubeチャンネルに「ジャンルごとでトップ5にまとめて発信してみるか」と思いつきました。
そして、キレイだと思った街並みがある国や料理が美味しいと思った国などをトップ5にまとめて妻と思い出話を語る動画を発信。
すると「このシリーズ継続してください!」「面白かったです!」などのコメントがたくさん入り、高評価のグッドボタンがたくさん付き、僕は拍子抜けしました。
「え?これ?こんなのが良いんですか?本屋さんに置いてある旅行雑誌や本を読めばどこにでも書いてありそうなのに…」
と。
僕の中では、もっと深い話、面白トーク、旅行テクニックなど、専門的な話じゃないと喜ばれないと思っていたのです。
そして、僕は初心に立ち返ったのです。
「確かに旅行にたくさん行くようになる前は、旅行経験者の思い出話はめっちゃタメになってたな。イメージが膨らんでよりワクワクできたしな」と。
自分が思う品質の高さばかりを追求し、初心を忘れ、僕が誰であるかもすっかり忘れてしまっていました。
夫婦で世界二周していること自体がレアだし、そんな夫婦が動画で旅の経験を喋っていること自体が超レアなんですよね、きっと。
情報だけではなく、誰が発信しているのか?という人にも価値が含まれていることをすっかり忘れてしまっていたのです。
なので、ブログやYouTubeなどで情報発信されている方は「友人知人からよく聞かれること」こそが価値の高い情報だと、立ち止まって見直してみてください。
反応がビビるほど変わるはずです(^^)
え?こんなのでいいの?家庭内編
例えば、家族のご飯を作る時に「美味しい野菜炒めを食べたい!」と家族からリクエストがあって、自分が思う極上の野菜炒めを作ろうと思ったとします。
極上の野菜炒めには「ニュクマム」を入れたら最高だ!これは絶対に喜んでくれるぞ!
追加で花椒も入れれば完璧だ!
と、ベトナム料理に使うニュクマム(魚醤)と花椒を入れて野菜炒めを作ったとします。
しかし、家族の反応は「うーん、エバラ焼肉のタレで作った野菜炒めの方が美味しい!」と言われた。
すると、心の中で「何だコノヤロー、せっかくこだわって作ったのに」と悲しくなると思います。
しかし、ニュクマムや花椒を美味しいと感じる舌を持っていなければ、仕方のないことですよね。
「え?エバラ焼肉のタレで良いの?」と感じるかもしれませんが、それがいいのです。
エバラ焼肉のタレに高い価値を感じているのですから!
まとめ
自分のレベルアップに偏りすぎると、自分の基準を相手も同じように持っていると錯覚してしまうので、注意が必要です。
特に、職人気質・完璧主義者・真面目すぎる人であればあるほど錯覚が大きくなり、求められていると思っていることと、実際に求められていることのズレが大きくなります。
なので、もっとダメでちょうどいい。もっと低レベルでちょうどいい。
ぜひ意識してみてください(^^)
コメント