自己否定をやめる9つの改善方法!心理学の根本から分かりやすく解説

自己否定は様々な種類があり

  • 自分はできない人間だ
  • 自分は存在価値がないんじゃないか
  • 生きている意味ってあるのかな?
  • とにかく自分が嫌い
  • 自分は薄汚れているな…

と、人によって持っている自己否定感が異なります。

過去の僕も自己否定の塊のような人間で、何をやっても自己否定感がこびりついていて本当に生きづらかったです。

今では自己否定することがほとんどなくなり、だいぶ楽になり、人生の好転しました。

そこで当記事では、自己否定をやめる改善方法を9つご紹介します。

方法論だけだと根こそぎ解消できないため、自己否定がどこからやってくるのかについての根本から解説します。

目次

自己否定はどこからくる?→期待・他人との比較・自己防衛

自己否定を引き起こす要因は大きく分けて4つあります。

  1. 自分のことをクズだと認めていない
  2. 高すぎる理想が引き起こす自分への過度な期待
  3. 他人との比較
  4. 自己防衛

それぞれ詳しく解説します。

自分のことをクズだと認めていない

自己否定が強い人にも色々タイプがありますが、僕は自己否定が強いクズでした。

自分の事をさらけ出すのはとても恥ずかしいのですが、しっかりお伝えしますね。

自分のことをクズだと思っていたんですが、自分のことをクズだと認めてクズらしく生きることにしてしまったら

「周りにいる人たちが俺のことをクズだと分かったら離れるんじゃないだろうか」

と、脳内に恐怖が占領されてしまうんですよね。

でも、それが怖くてクズさを必死に隠して、無理して背伸びして「私/俺は素晴らしいんだ、愛されているから大丈夫、このままでもOK」と自己肯定感を上げようとすると、葛藤が生まれます。

その葛藤は「本当はクズなのに何でクズじゃないことにしようとしてんのさ!」というキレイな心を持つ自分からのお告げでして、ウソついている自分を否定したくなるのは正常です。

自分のクズさを隠せば隠すほど自己否定が強くなります。

高すぎる理想が引き起こす自分への過度な期待

自分への過度な期待とは言葉の通りなのですが、自分への期待値が高すぎると自己否定がやってきます。

「本当はこうありたい。だけどそれに比べると今の自分は全然。やっぱり自分はダメな奴だ…」

と。

自分への期待を前に進むモチベーションに上手に変換できる人はいいのですが、度が過ぎると自己否定に変換されてしまうのです。

では、なぜ自分への期待値が高すぎる状態になってしまうのか?

それは高すぎる理想が原因です。

なぜなら、理想と現実のギャップが大きければ大きいほど、理想と現実の差に絶望感を抱き、足りない部分にばかり目が向くようになり、自己否定が大きくなります。

確かに、高い理想を掲げるのは悪いことではありません。しかし、理想が高すぎることによって、自分への期待値と現実の自分に乖離が起こり過ぎると、自己否定が強烈になっていきます。最悪の場合、心が病みます。

自己啓発を学ぶと「理想をイメージしてください」とよく言われますが、理想を高すぎる場所に設定しないこと。

他人との比較

自己否定の罠に最もハマりやすいのが他人との比較です。

今の時代、SNSを見ると幸せの最大瞬間風速が切り取られたものがたくさんアップされるため、他人の幸せそうで楽しそうな人生の一面を簡単に覗けるようになりました。

しかし、それはあくまでも

  • 幸せの最大瞬間風速を切り取っているかもしれない
  • 幸せの演出をして承認欲求を満たすためにアピールしているだけかもしれない

ということを忘れてはいけません。

自分と他人を比べてしまうと、自己否定に陥りやすくなってしまいます。

また、自分の短所やコンプレックスは他人との比較の材料に使われやすいです。

自己防衛

自己否定には自己防衛の役割もあります。そして効果が2つあります。

  1. 許容範囲(キャパ)オーバーな自分を止めて壊れないようにする
  2. 問題から逃げて正しい道に戻ろうとする

自分の許容範囲を大きく逸脱した時に「ちょっと待って!いくらなんでもやりすぎだよ!それ以上やるなら止めないと危険!」と、自己否定を通して自分の精神・肉体を守ろうと防衛本能が働きます。

動きを鈍くさせようとSOSサインを送ってくれているんですね。この場合は、ちょっと休んだ方がパフォーマンスが上がります。

そして、問題から逃げると聞くと、少し厳しく聞こえるかもしれませんが、そっちの方じゃありません。

むしろ、思っているものとは真逆で「問題に対して向き合いすぎ!深刻に考えすぎ!捉え方・見方を変えて!脱線してるよ!」と、自分の精神・肉体を守ろうと防衛本能が働きます。

人は不思議なもので、考えすぎるほど深刻になっていき、どんどんネガティブな方向に向かっていってしまいます。その最終着地点が自己否定なのです。

自己否定をやめる方法

責任の所在を明確にして過度な自己責任を手放す

成功哲学の教えで「自己責任を持て」とよく言われていますが、全ての事象おいて自分の責任が100%と考えるのは、少し違います。

例えば、駐車場に止めていた車の窓ガラスが割られていたとします。そこに車を停めた自分が悪いのでしょうか?

そんな事ないですよね。明らかに窓ガラスを割った人が悪いです。そこに自己責任を感じる必要がありません。自己責任を求めてくる人は頭のイカれた人です。

で、この時に素直な人であるほど「自分がここに車を停めたせいで窓ガラスが割られた…」と、自己否定に入ってしまいます。

そのサイクルをやめましょう。自己責任に逃げないで。ムダに自分を傷つけないで。

「これは気をつけようがない。まあしょうがないか。」と、解釈して自分に責任がない不運なことは責任を持たないようにしていくのです。

そうすることで、本来責任を持つべきじゃないことが明らかになっていき、自己否定がなくなっていきます。

「ちゃんとしなきゃいけない」という完璧主義を手放す

あらゆるものを苦しめる毒薬の「完璧主義」は、百害あって一利なしです。気づいているなら早めにデトックスしましょう。

そもそもこの世に存在するもので完璧なものなど一つもないのに、自分が完璧になろうとすることがいかに無理なことかをきちんと理解しましょう。

物理的に無理なものを求めるのは、どう考えても建設的じゃありません。ティラノサウルスのレバ刺しが食べたいと求めるほど難易度が高いのが「完璧」です。

というより、完璧ってどんな状態のことでしょうか?

実は、完璧の定義がないのにも関わらず完璧主義を貫く人も少なくありません。すると完璧という幻想にハマってしまいます。

実際に、完璧が何なのかさえ分からないままなので・・・

  • 完璧にできるまでやらない→完璧が何かが分からない→やらない→やらない自分に落ち込む→自己否定

という恐ろしい地獄のスパイラルにハマります。

また、完璧の定義をハッキリ持っていたとしても・・・

  • 完璧になったらやろう→不足している部分を発見→完璧の定義がレベルアップ→不足している部分を発見→完璧の定義がレベルアップ→いつまでもやらない自分に落ち込む→自己否定

というアリ地獄のスパイラルもあるんですね。

日本人愛用者が多いiPhoneだって、いつも完璧な状態でリリースされてません。50点くらいでリリースされていますよね。

ユーザーからフィードバックをもらいアップデートを繰り返しながら100点を目指していくような感じで進めていますが、100点にはならないんですけどね。笑

自分の親も先生も成功者も世界の偉人も完璧な人もモノも誰もいないしありません。だって、どんどん改善されたり記録を更新されているじゃないですか。

だからこそ、完璧主義者に伝えたい。60点で生きるくらいがちょうどいいんだよと。

完璧を求めると、99.9%の完璧じゃない時間全てを自己否定で過ごすことになりますからね。完璧主義は「私、自己否定が生きがいです」と言っているようなものなんです。

これは精神衛生上良くないですし、完璧というのは物理的に無理です。完璧は絶対に無理なので、潔く降参してください。完璧は無理無理。苦しいだけ。

そして、ショックを受けるかもしれませんが安心してください。誰もそこまで暇じゃないので、自分以外の人生にそこまで興味を持っていないです。

http://shotayamagiwa.com/pride-loss

他人に完璧を求めるのをやめる

自分が完璧主義だと「完璧こそ正義」という価値観・美学を持ってしまうので、他人にも完璧であることを求めてしまいます。

なので完璧であろうとしない他人を見ると、イライラしてしまいます。

しかし、完璧であろうとしない他人にイライラするほど、完璧主義をやめられなくなっていくので、結果として自己否定の罠にハマってしまうのです。

僕ももともと完璧主義だったので、他人に完璧を求めないというのは、なかなか感情的に理解しがたい気持ちは痛いほどよく分かります。

ですが、これだけ多様化している社会で自分の完璧だけを貫き通すのは、かなり無理があるように思いませんか?

もし、他人に完璧を求めることがやめられない場合は、発展途上国へ出かけてみてください。

そこは、日本とはまるで別世界。「こんなゆるいのにみんな幸せそうだな」と、新たな視点をもらえること間違いありません。

他人の多様性を認め許せるようになると、自分の個性も認め許せるようになっていき、自己否定も他者否定も無くなっていきます。

他人と比較しない

自分にコンプレックスや劣等感がある人は、持っている他人が輝いて見え、持っていない自分にさらなるコンプレックスや劣等感を抱き、自己否定をします。

  • 学歴がない
  • お金がない
  • 容姿淡麗じゃない
  • スキルがない

など、他人との差に敏感です。

だからこそ、分析がとても上手で人を見る能力に長けているんですね。これはコンプレックスや劣等感がない人が持っていない能力です。

ただ、自分と他人を比較して自分や相手の個性を分析・発見する方向に変換できれば最高なのですが、つい、自分と他人の違いがハッキリ見えてしまうがゆえに、ダメな自分・不足している自分に目がいってしまうんですよね。

いきなり他人との比較をやめろと言われても、人を見る能力に長けているからこそ、なかなか難しいことかもしれません。

なので、分析できる力があるからこそ、他人より自分の方が優れている部分を分析し数えていきませんか?

すると、自己否定は治まり、自己肯定感を持てるようになります。

定期的に幸せの閾値を下げる

幸せの閾値とは、幸せを感じられるレベルのことを言い、放っておくと幸せの閾値がどんどん高くなるので、幸福感を感じることが難しくなり、日常に満足できることが減ります。

そして、幸せの閾値が高くなると、もっと高い条件付きの幸せを欲するようになるので、終わりのない欲望追求レースになってしまいます。

「安全に暮らせて幸せだな」と思っていた閾値が高くなると、安全に暮らせていることに幸福感を感じることができなくなり、タワーマンションに住んでフェラーリに乗らないと幸せじゃないと思うようになっていくのです。

でも、世の中で手に入れられるものって限界がありますよね?

手に入れるレベルのものがどんどん高くなっていくと、壁にぶち当たることが多くなります。

そうなると、自己否定の始まりです。

そうならないために、定期的に幸せの閾値を下げて、日常の些細な喜びや幸せを感じられる感覚を忘れないでくださいね。

等身大の理想や目標を掲げる

高すぎる理想が自分への過度な期待を引き起こし、自己否定になると前述しましたが、現実味のない理想や目標を掲げるのはやめましょう。

これは下記記事でセルフイメージが高すぎると人生が崩壊すると書いているように、高すぎる理想や目標も人生を崩壊させてしまいます。

http://shotayamagiwa.com/good-selfimage

地に足が付いていない状態なので、空回りしやすかったり騙されやすかったりします。

そして、理想や目標が高すぎるとギャップに苦しみ、本来なら自分を褒めるべきようなことを達成して自己肯定感を高める絶好の機会なのに「こんなんじゃダメだ」と自己否定してしまいます。

自己否定しながら理想に近づくのか。自己肯定感を高めながら理想に近づくのか。

どっちが幸せでしょうか?どっちが楽しそうでしょうか?

理想や目標は現実味のある等身大のものが適切です。

コンフォートゾーンを一気に広げようとしない

コンフォートゾーンを一気に広げようという考えは「強烈な自己否定」が出発点です。

「一気に広げる=今の自分はダメ」というジャッジを自分に下していることになるので、強烈な自己否定に繋がることになります。

一気に広げようとする考えは、ほとんどが「焦り」からくるのですが、焦ると空回りするだけです。

逆に足を引っ張られてしまい、出来ない自分に遭遇するハメになるので、また自己否定ゾーンに戻ってきてしまうのです。

人生は積み上げで加速していきます。成長曲線を思い出してください。

短所・コンプレックスで得したor助けられたことを思い出す

自分の短所やコンプレックスが嫌いであればあるほど、自己否定が強くなっていきます。

逆に、自分の短所やコンプレックスを自分の必殺技として活かしている人は、短所やコンプレックスを「ラッキー」だと捉えています。

なぜなら、短所やコンプレックスで得していることや助けられていることがたくさんあると、気づいてしまっているからです。

僕はどちらかと言うと自分に対してネガティブでコンプレックスや劣等感を感じまくっていたタイプなので「こんなダメダメな自分を変えたい!!!」と思っていました。

しかし、僕が持っていた人前で喋るのが苦手というコンプレックスがあったからこそ、文章力に磨きがかかった。

飽きっぽくて何事も長続きしないというコンプレックスがあったからこそ、新しい情報に敏感で、アンテナを広く張ることができて、好奇心旺盛になれた。

など、ずっと短所やコンプレックスだった部分で、実は得していることや助けられたことを思い出すと「あれ、意外と悪くないかも」と思えてきます。

コツは、短所やコンプレックスを真逆に捉えてみることです。僕はこれでめっちゃ救われました。

http://shotayamagiwa.com/strongpoint

自分の思い込みを疑ってみる

人の思い込みは怖いほど偉大なパワーを持っていて、一度何かを思い込むと、あたかもそれが真実かのように感じてくるものです。

そして、自己否定が強い人は、自己否定が弱い人に比べて、思い込みの力も強く、しかも悪い方に思い込む傾向にあります。

嫌われているんじゃないかとかダメな奴だと思われているんじゃないかとか。

しかし、何かを思い込む時は、周りの人が持っている価値観・常識を基準に思い込むか、なんとなく思い込んでいることがとても多いです。

なので、自己否定を招く思い込みがあるなら、その思い込みに合理的な理由があるかどうか探ってみてください。

そして、友人知人に「もし同じような状況だったら、どう思う?」と意見を聞いてみてください。

すると、自分が思い込んでいた考え方とは全く違う意見を聞くことができ、自己否定感が解消されます。

まとめ

まずは、自己否定の源になっている「高すぎる理想の木」をぶった切ることから始めてみてください。

ぶった切ることに勇気がいるかもしれませんが、いかに「高すぎる理想の木」に苦しめられていたか気づくことができ、心がフワッと解放されます。

そして、自己肯定感を高めるのは、自己否定をできるだけ少なくしてからの方がいいです。

なぜなら、いくら自己肯定感を高めようとアクセルをふかしても、自己否定でブレーキを踏んだままになっているので、エンストを起こしてしまうんですね。

燃費めちゃくちゃ悪くて疲れちゃうので、まずは自己否定を限りなく排除しましょう。

間違っても「完璧に」排除しようと考えないように。

それこそ「完璧に」自己否定を排除できている人も世の中にいませんからね。

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